1日1食 ゆるベジへの道      幸せなベジタリアンになる   

1日3食→1日2食→少しずつベジタリアン(お気軽ベジタリアン)→1日1食への道

モノやお金から自由になりたいけど、なかなかそうはなれなくて辛い

最近、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。(佐々木典士)」から始まって、「20代で隠居 週休5日の快適生活(大原扁理) 」、そして「持たない幸福論」(pha著)と、一般的な物欲からちょっと離れた人たちの本を読んている。

この人たちの共通点は、モノやお金からある程度解放されていて、自由な面が多いということだと思う。

でもだんだん読み進めるうちに、何だか辛くなってきた。まず、ミニマリストの物を減らすということだけれど、ここ3週間位、私の週末はモノを減らすために潰れてしまっている。

佐々木さんも言っている通り、もうあることすら忘れていたものも多くて、だいぶ処分できたけれど、よく考えてみたら、全部自分のお金で買った物で、買う時もそれなりに時間をかけて選んだはずだ。

そしてまた今回、処分するために時間を食われて、失った時間とお金のことを考えると、「わたしは一体何をやっているんだろう?」とむなしくなってきたのだと思う。

大原さんやphaさんの本も、とても面白かったし、私も会社で働くなんて全然興味ないことは自分でもよく分かっていたけど、なぜか社会に合わせてハードルを上げて「やっぱりそうするしかない!」と思い込んでいたんだな~と気付かせてくれた。

でもそれに気付いて今すぐ会社を辞めたくても、大原さんのように介護士の資格もないし、phaさんのようにネットで稼ぐとか本を出版するとかもできない。この二人は働かないという選択をしているけど、いざという時は働いてしっかり稼ぐこともできる。

私は会社を辞めたら、週2でバイトでもして(週2だと少なすぎるかな)、一見この二人と大差ない生活を送れるかもしれないけど、もっとお金は少なくて、そこから抜け出したくても抜け出せない貧困女子に陥ってしまうと思う。

今まではあきらめにも似た気持ちで、「定年まで細々と働いて~」と漠然と考えていたのが、「会社でなんかもう働きたくない」「もっとすべてのハードルを下げてもいいんじゃないか?」と自覚したので辛くなってきたのだと思う。

私の場合は、あと5年の間に小銭を稼げる資格を取って、給料もなるべく貯金して、準備を進めるというのが最短だと思う。でも「定年まで細々と働いて~」という心構えだった時のあと5年と、心境の変化後の今感じるあと5年は全然違って、今はネバーエンディングストーリーのように感じてしまう。それで最近は、毎日が何だか辛く感じるのだと思う。