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1日1食 ゆるベジへの道      幸せなベジタリアンになる   

1日3食→1日2食→少しずつベジタリアン(お気軽ベジタリアン)→1日1食への道

2016年3月20日(日)の食事

今日のご飯は以下の通り。

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昼食
オムレツライス
・ご飯
・エビ入りオムレツ
・唐辛子とニンニク入りナンプラー
・レタス

おやつ
・フライドポテト

夕食
かぼちゃとトマトのスパゲティ
・スパゲティ 
かぼちゃフレーク(ヴィーガン対応)
・玉ねぎ 
・トマト 
・空芯菜 
・オリーブオイル 
・シイタケブイヨン

今日は久しぶりに昼食を食べた。なぜかというとカフェに行きたかったから。カフェでケーキを食べても良かったのだけれど、ちょうど砂糖が体に悪いという記事を読んだばかりで、ケーキよりはオムレツライスの方が明らかに砂糖が少ないと思ったから。

そんなことよりも、夜に湯浅和花さんのブログを読んでいて、「私はいなかった」ということにようやく気が付いた。私の場合、「わたしがいない」ということは別に衝撃的でも何でもなく「ふーんそうなんだ」くらいの感覚だったけれど、「父がいなかった」というのは大きな衝撃だった。

私はファザコンで父が大好きだった。でもその父が亡くなり、心に埋めようのない穴がぽっかりと空いていた。でも私が父だと思っていたものは、もともとなかった。

私はそのことを感覚というより頭で理解したのかもしれない。なぜなら巷で言われているような「すべて愛に包まれている」という感覚は得られなかった。別に体がどうにかなったわけでも何か特別な感覚に襲われたわけでもなく、ただ分かった。

他に巷でよく聞く「物事はすべて完璧でそれしかない」というのも「物事はそれしかない」というのは分かったけれど、すべて完璧?なのかどうかはよくわからない。単にそれしかないことを「すべて完璧」と表現するのだろうか?

それに「父がいなかった」と気付いた時には涙が出てきた。私の自我は全く消えることなく、そんな気付きに耐えられなかった。理屈で言えばもともといなかったのだから死んでもいないことになるのかもしれないけど、そんな風には到底思えなくて、「だったら何でそもそもこういう経験があるの!」という感じだった。