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2016年10月22日(土)の食事

今日の食事は以下の通り。

海鮮丼定食

・酢飯
・鮭、マグロ、トロ、サバ、トビッコ、白身魚、イカ、赤貝、きゅうり、卵など
・豆腐
・味噌汁(わかめ、豆腐、ネギ)
・付け合わせ(ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ)
・漬物(きゅうり、大根、ニンジン)
・ほうじ茶

おやつ
・スイカのスムージー
・フライドポテト(モス)
・カオニャオドリアン
・紅茶

今日もまた懲りずにお昼に海鮮丼を食べに行った。

今、やまがみてるおさんの「「いまここ」にさとりを選択する生きかた 」を読んでいる。やまがみさんは、「さとり」とは思考からはなれた自分を発見し、そこから人生を生きている状態、と書かれている。つまり自分イコール思考ではなく、そういう思考があることに常に気付いている意識(やまがみさんは「体験の主体」と呼んでいる)が定着するのが「さとり」の第一歩らしい。

確かに自分の思考や感情をちょっと離れて眺めてみると、「それにどっぷり浸かって生きている自分」が見えてはくるので、「そこまでどっぷり浸かる必要はないよね?」と自分に問いかけて、ある程度落ち着かせることは出来る。

でも、それでも思考や感情は勝手に起きてくるので、そこから完全に抜け出すのは難しい。

今日こんなことがあった。デパートで日本の雑貨が特売になっていたので、6点ほど購入し、その他にもいろいろ買い物をして、用事を済ませてから家に帰った。家に着いて中身を見たら、雑貨の数が一つ足りない。それもよりにもよって一番高かったマイナスイオンを発生させるブラシがない。

それからは、あの店員は何をやっていたんだと腹が立って仕方がない。「あの店員を信用した自分がバカだった。」「真っ先に中身を確認すべきだった。」「紙袋の真ん中にセロテープなんか貼るから中身が見えなかったんだ(ちなみにあの真ん中にセロテープを貼るのは本当に好きじゃない。止めてほしい)。」「デパートのくせに間違えやがって金返せ、泥棒!」「6点も買うんじゃなかった」等々、エンドレスで怒りが湧いてくる。

最初は、「でもそうは言っても、デパートまで1時間近く掛かるし、面倒で割に合わないから諦めよう」と思ったのだけれど、それでは自分の感情が収まらないことにも気づいた。「移動に1時間近くかかるとしても、何もしなければ今から1時間後もまだ怒っているだろうし、思い出したらまた腹が立つだろうし、クレジットカードの請求が来たら間違いなくキレそうだし、このデパートに行くたびに頭に来るだろう」と判断したのだ。

今回は、ちゃんと感情に気付いている自分はいたけれど、だからといってそれをどうにかできるわけでもなく、結局このデパートにもう一度足を運んだ。同じ店員がまだいたので説明すると、私のことは覚えていたらしく、「ちゃんとブラシも袋に入れた」と言いつつも、同じ値段の分を他の品で弁償すると言ってきた(ブラシは1点しか無かった)。

本当は返金して欲しかったけれど、向こうもちゃんと覚えていたし、ベテランそうなので買い物かごから一番目立つものを取り忘れるというのも確かにあまりない気がしてきたし(だからと言って私が落としたとも思えないのだが)、他の物で弁償すると言ってきたので、他のブラシを選んで一件落着、私の感情もすっかり落ち着いた。

まだまだ全然さとりの境地に達していないからかもしれないけれど、こうやって自分の感情に付き合うのも大変だ。

今ここにこうして書き留めているのは、そのうち今日のことを思い出して、わざわざデパートに行かなくても落ち着けるようになりたいから。