1日1食 ゆるベジへの道      幸せなベジタリアンになる   

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2015年11月21日(土)の食事

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今日の夕食は以下の通り。

野菜サラダ
・オートミール
・トマト
・ニンジン
・レタス3種くらい
・カイワレ大根
・温泉卵
・ドレッシング

デザート&食後のおやつ
・フライドポテト(手作り)
・ミカン
・ブドウ

オムレツご飯
・エビ入りオムレツ
・ご飯
・キュウリ
・レタス

その他
・チョコレートケーキ
・パパイヤ、ドラゴンフルーツ、スイカ、ナシ
・フライドポテト
・ドーナツ2個

今日の晩御飯は、まず朝の散歩の途中で買っておいた野菜サラダを食べてから、食後のおやつを食べて、さらに近くの喫茶店でオムレツご飯を食べた。午後にはフライドポテトやドーナツも食べたので、1日2食分くらい食べたと思う。でも実際は、1日2食の時は、フライドポテトやドーナツはおやつで、その他に昼の食事もしっかり食べていたのだと思う。

喫茶店でオムレツを食べ終わって「神との対話(3)」を読んでいたら、すべての物事は本当にただただ起こっているだけで、私がそれを好き勝手にいろいろ解釈して生きているだけなんだな、とつくづく思った。

もちろんだからと言って、自分にとって著しく苦痛なことが(苦痛だと思えることが)起こった時に、そんな風に達観できるとは到底思えない。でも確かに物ごとは起こっているだけで、その証拠に、他人の不幸なニュースをテレビで見たり聞いたりしても、わたしたちは普通に生活しているし、自分に悲しい出来事が起こっても、世の中は何事もなかったかのようにそのまま進んでいる。

今の自分にとっての現実は、自分がこうありたいという意識か、自分の中の無意識か、集合的無意識のうちの、一番強いものによって成り立っているらしい。それなら毎日平和を願えば、パリの同時テロのようなことも起こらなくなってくるんだろうか。